鳥取に戻って7年目に突入。実に早いものだ。
なんとなく鳥取でもそれなりに仕事をさせてもらってラッキーな人生を送っているが振り返ってみると25年もの長期間大阪に住んでいて、なぜ鳥取に戻ってきたのか?
今、再び分析してみようと思う。
ちょうどCGを始めた頃がバブル絶頂期でリスクの高い最先端の事業でもあまり躊躇なく飛び込めた。それがうまく当たり暫らくは関西トップを走っていた。
しかしそれから10年、やはりバブルはじけて経済は落ちる一方。
バブル時にやり始めただけにそれなりに経費のかかる生活をやっていた。
このまま続けるとどこかでマイナスに陥るという危機感があったように思える。
大阪でリスタートを切るには不景気真っ只中、リスクが大きすぎる。
3DCGも低予算で出来るようになりライバルは増え、旨みのない商売になっていたのだ。
そこで大阪脱出案が浮上。あまり悩まなかった。居座る方がデメリットが多すぎたのだ。
しかし鳥取に帰ると言っても全く浦島太郎状態、なんの繋がりもなくとりあえず親戚の会社に籍を置いてリスタートが始まった。
大阪でやっていた仕事なんかを鳥取に持ち込んでもマーケットが違いすぎて受け入れられないだろうと思った。それでも何らかの形で自分を出していかないと面白くないと言うことで鳥取のマーケットをリサーチ&分析。
そんなこんなで鳥取帰って一年後に今の形で再々スタートとなったわけである。
新しいマーケットを開拓というのは暗中模索である反面うまく行くと非常に楽しい。
しかしハードルの低いプロジェクトの場合はすぐに真似をされる。ハードルの高さによって追従される寿命の長さが決まるように思う。
大阪で3DCGをやった時は10年以上はキープできた。
今回鳥取でローコストCMをやっているわけだが撮影なしのグラフィック処理制作はそろそろライバルが増え始めてきた感じである。
数年前からロケ撮影に対しても模索してきた。
そして本格的ハイビジョン制作へと突入する。このあたりでライバルをグッと引き離しておかねばと画策中なのである(笑)
ハードルを上げるにはいくつかの手法がある。
誰もやりそうもないマーケットを狙う。簡単にできそうもないテクニックを身につける。高価な設備を導入する。などである。
つまり、いずれも楽には成し得ない事なのである。
そして時代の先を読むことは必須である。更に人間性なども。
そのいくつもがうまく絡み合って成功への道が開けるのだろうが…
ただ今の時代、勝ち組負け組みなどと分類すること自体に意味がなくなってきている。
収入が少なくても楽しく生きていければそれでいいと。
でもビジネスとしてみればそれを言っちゃぁ~お終いよ!ってなわけで(笑)